特別養子縁組 返したいと思う現実と向き合う

返したいと思うこと

時々、思います。

我が子がいなかったら、どんな生活をしていただろうかと。

子供がいなくて、いたらいいなと思っていた時と、実際にいて、いなかったらどんなかと考える時とでは、全く違う感情になっています。

一人の人間の人生に大きくかかわり、自分たち親が、その人格形成に大きく影響するということを考えられるようになったのは、つい最近かもしれません。

ただただ子供が欲しいと思っていた時とは、責任感も全く違います。

もちろん、多くの人がそうだと思います。

子供がいるからこそ感じることが多く、それまで知らなかったことを知っていくのですから。

ただ、そこから、返したいという感情に変わるのではなく、返すという選択肢は自分の中ではゼロで、どう変えていくかを考えています。

中には、養子を返したいと考える人もいると思いますが、養子という感覚ではなく、もともと実子であった場合と似ている感覚で過ごしているのが、私の現状なのかもしれません。

返したいのではなく、いなかったらどんななんだろう、そんな感じです。

子供によって縛られること、多いです。

それを選んだのは自分ですが、こんなに躓きを繰り返しながらの生活だとは思いませんでした。

一日が過ぎれば、どうってことないことです。

ただ、その瞬間には、こんなことでこんなふうになるのか、そう心の中でぼやくのです。

子育ての経験がある人の多くは、似たようなことを体感しているのだと思いますが、いい思い出の一つとして処理されたり、すぐに忘れ去ることでもあるはずです。

その詳細の経験を見聞きできるチャンスはありませんので、体感するしかないのですが、子育て、大変です。楽しいです。つらいです。深いです。

返したいと思う瞬間

あったかもしれません。

ありました。

詳しくは覚えていませんが、日が浅いと、自分が育てていってもいいのかを自問自答することもしばしばありました。

月日を重ねて親子であることが当然になった今は、返すという発想は消えているのでしょうか。

我が子がしゃべるようになり、人としての優しさを耳からの感覚でも感じられるようになった今では、親子である実感もさらに増してきています。

返したいと思ってはいけないのか

よくはないのですが、あり得ることだと思います。

子供を手放して、養子に出すという決断ができる人もいるのですから、当然ながら、養子を返したいと考える人もいるはずです。

その瞬間に実行するのでなければ、困難に立ち向かうための準備段階として、家族の在り方を考えるチャンスととらえ、前向きになるきっかけを見つけることもできるはずです。

多分、特別養子縁組ではない実子を育てている人と、普段は同じです。

躓くポイントが多いだけです。

養子であるという事実に関しては、本人のみの問題となっていくかもしれません。

子供はどんなところに養子に出されても、その人生しかありません。

私たちのところに来なくても、別の家庭で養子としての人生を送るのです。

私たちが選ばれたことに感謝し、それが、我が子にとって不利益にならないように支え続けたいです。

どこの家庭に行っても、我が子は、真実告知を受けて、出自や境遇と向き合う日が来ます。

そして、それを自分なりの解釈で飲み込むのです。

どう向き合うかを決めるのは本人ですが、どう考えながら向き合うかは、はぐくむ環境によって大きく異なることも想定できるので、我が子に合う対応を考えつつ、できる限りのことをしていきたいです。

返したくない、取られたくない、そう思うのは入籍前までで、籍が入ると実子になり、ほかの家庭と同じようです。私にとってはそんな感じです。

よく思うこと

子供が欲しいと漠然と考えていても、子供も人間なので、大変なことが多いです。

いなかった時にはイメージ出来ていないことが多かったです。

どんな困難にも立ち向かうつもりでも、想定外の連続で日々が過ぎていきます。

十人十色が家族の人数分、かかわる人の人数分、しかも、子供は突拍子もないことをします。

体と心を強く持ち、程よく休むことを早くから知った人こそが楽しめるのかもしれません。


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